AIR JORDAN I

生涯で初めて履いた革で覆われたバスケットシューズを履いたのが、AIR JORDAN Iだった。


2つ上の親戚の方もバスケを部活で取り組んでいて、1986年製のAIR FORCE II(※AIR JORDAN IIのリアみたいにプラパーツが付いた初期型)を買った為、AIR JORDAN Iは不要になり、中学校1年の4月に会った時に貰った。


その時のカラーは↓のカラーである。

※現物の写真はないのでこの画像を使わせて頂きました・・・。



2017年になった今だから、”AJ I・BRED”といわれる様な俗称等があるが、当時はそんな名称は当然無かった。


Iなんていう呼び名も無い・・・モデルは当時、ひとつしかない訳だから・・・。


呼び名としてはJORDANの黒赤とか、赤白黒とかそんな感じ・・・。(笑)

履いている人もそんなに居なかった・・・。

履いていた人は赤白黒(=今でいう、シカゴカラー)が多かった。


当時はそんなに売れていなかった・・・と思う・・・。

値段は、消費税とかが始まる前だったので、17.800円だったと思う。

当時、スポーツ店で赤白黒(シカゴカラー)と白メタリック赤の在庫はよく見た・・・。


これが1986年ぐらいの話だから、今、ブランディングされている1年ごと、新しいモデルを発表するAIR JORDANシリーズからは考えられないくらい、AIR JORDAN Iは2,3年という長期に渡り市場展開されていたことになる。


ちょっと驚愕だわね・・・っていうより売れなかったんだろうね・・・当時は・・・。


また、AIR JORDAN自体がMichael JordanというPlayerのシグネイチャーシューズという事も当時は知らなかった。


そもそも、Michael Jordan自体を知らなかった。

(※Michael Jordanを知るのは翌年のテレビ東京の金曜深夜に放送されていた87-88 NBA Super Seriesという名のNBAの試合中継番組)


当然、Michael JordanがBULLSのユニホームが筆記体の頃も、Iを履いていた頃も知らない・・・。

だから、後にJumpmanロゴになる↓も全く意味も分からなかった。


これから、唯一気づいた事は日本には無いカラーのAIR JORDANを履いている・・・という事ぐらい・・・。


俗にいう、つま黒・・・。

当時なんて、つま黒なんていう単語さえなかった・・・。


今見るとダントツに格好良い・・・。


しかし、いまだに信じられない事がある・・・。


AIR JORDAN Iが何故こんなにプレミアが付くのかが分からない・・・。


競技用シューズとして重いし、踝をガッチガチの割に捻挫したし・・・。


私はIより、次作のIIの方が断然優れていると思うが・・・。


AIR JORDAN Iの頃の神Gameは ↓ かなぁ・・・。

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