AIR JORDAN II
一番思い出深い靴・・・。(笑)
この靴で慢性的な捻挫は無くなった。
AIR JORDAN I(※以下AJI)より、少し軽くなった。
田舎に居たので、広告展開は地味で、当時、400円ぐらいしたNIKEのカタログブックで ↓ ともう一つしか見た事しかない・・・。(笑)
この履いている靴何ぞや・・・という感じだった・・・。
あとは、↓のみ・・・
シューズのカラー展開の広告のみ・・・。
白×黒(※Jordan本人はアウェー戦着用)と白×赤(※Jordan本人はホーム戦着用)の2色のみ・・・。
AJ Iに比べるとカラー展開も地味だった・・・。
当時、片田舎に居たので、スポーツ店では白×赤のハイカットしか見なかった。
しかも、希少だった・・・在庫は2足ぐらいしかない、取り寄せはNIKEにオーダーは出せるが、来るかは分からないと、当時、スポーツ店の人も言っていた。
因みに白×黒は見た事は無い・・・。
1990年(※世間ではAIR JORDAN Vが流通していた)に普通の靴屋さんで白×黒のローカットを見たくらい・・・。(苦笑)
AJ I同様売れなかったんだと思う・・・。
価格はハイカットが18,000円。
ローカットの正確な売値は分からない・・・1990年に見たものだと、16,800円だった。
当時の私はこの広告から、白×黒のハイカットだけは凄く欲しかった・・・。(笑)
NIKEのスオッシュラインない事やAIR JORDANのウイングロゴが派手にフューチャーされていたのも欲しくなる要因だった。
このAIR JORDAN IIもひょんな事から手にする事になる。
当時、親戚の方の影響もあり、部活でAJ I⇒AIR FORCE II初期型(※↓の写真)
※現物が無いので拝借しました。m(_ _)m
白×赤を履いていた。
しかし、これがすぐ壊れれる靴で・・・。(笑)
フルレングス・エアを搭載しているのでクッション性は素晴らしいのだが、靴の後ろ部分の中段にAIR JORDAN IIと同じプラパーツがあり、ここの縫製部分から裂ける、裂ける・・・。(笑)
確かAIR FORCE IIも18,000円したが、買って2か月ぐらいで練習中に壊れて、ガチで泣いた、泣いた・・・。(爆笑)
練習メニューが辛くて泣いた事は一度も無いが、この時だけは泣いた・・・。
しかし、このような時に”救う神”はいるものだ、1っこ上のセンターをしている先輩がAIR FORCE IIの初期型をスポーツ店で仮押さえしていたらしく、6,000円足りないから、その金額でこれ売ってやる・・・と言われて買ったのが、その先輩が使っていたAIR JORDAN IIの白×赤だった。
※現物の写真は無いので拝借しました。m(_ _)m
懸念事項がいくつかあり、手にしたとたんに履くのは凄く怖かった靴だった・・・。(笑)
・リアにAIR FORCE II初期型と似たプラパーツが付いている
・当時、慢性的な捻挫に悩まされていた為、踝をきつめにホールドしてくれる靴なのか・・・。
しかし、それは単に考えすぎだった。
凄く良く出来た頑丈な靴だった。
ホールド性は高いし、当時のバッシュの中では少し軽かった。
グリップもかなり高かった。
当時の中では、強度と軽さと高いホールド性を兼ね備えた靴だった。
この靴で無理なプレーをHC(顧問)に要求されても、不思議と決めれたし、ブザービーターとかもたくさん決め、前評判では不利といわれた学校をいくつか撃破した覚えがある・・・。(笑)
バッスケットプレイヤーとしては私を出世させてくれた靴なんだと思う・・・。
あと、バスケットボールの厳しさと楽しさを教えてくれた靴なんだと思う。
だから、思い入れは強いし・・・復刻するならばイタリア製で完全再現してほしいと思う・・・。(笑)
歴代のAIR JORDANの中で初めて中底にウレタン素材を使用した靴でもあり、加水分解という天敵に悩まされるとはこの頃は思いもしなかった。
このAIR JORDAN IIも、数年後のスニーカーブームの際、執拗に売ってくれという同級生がおり、30,000円くらいで売ってしまった。
今、思うと・・・かなり後悔・・・。(苦笑)
恐らく、そいつは、ファッションの為に売ってくれ言ってきただけであって、バスケットに触れようとはしていなかったので・・・。(笑)
手放した靴で2足後悔あるうちの一つだ・・・。
※もう一つはAIR JORDAN IIIの黒×グレー
Jordan本人はIIがリリースされてから、初期はハイカットを履いていたが後期はローカットばかり履いていた気がする。
今、考えると、AIR JORDAN III以降が3/4カットになったのも何かあったのだろううか・・・。
この頃のJordanは攻守にわたり、よく走る、よくボールを攫うし、何せよく飛ぶ・・・。(笑)
AIRプレー満載はNets戦かなぁ・・・。
ダンクコンテストではないドミニク・ウイルキンスとの対戦は面白かった。
"THE AIR" =vs= 人間ハイライトフィルム対決・・・これは熱かった。(笑)
皆様的には、どちらかというと印象的なのは1987 All Star Gameのスラムダンク・コンテストだなんだろうか・・・。
とか・・・
だろうね・・・。
Dr.J(ジュリアス・アービング)以来のフリースローラインからのダンクを決めてコンテストを獲っているから・・・。(笑)
当時、テレビ東京で放送されていたNBA試合中継番組”NBA SUPER SERIES"でMichael Jordanが良くAIR JORDAN IIのハイカットとローカットを履いている試合をよく見た。
余談になるが、当時のテレビ東京は時代の先を行く番組編成をしていたと思う。
まだ、NHK BSがGameを中継する3,4年前ぐらいの話だ・・・。
確かNBA SUPER SERIESの一番最初の放送は1988のAll-Star Gameだったので・・・
ピンとくる方はいるかもしれないが、そのGameこそがAIR JORDAN IIIのお披露目試合だったのだと思う。
暫くAIR JORDAN自体が毎年2月以降に発売されていたのはその影響かも知れない・・・。
AIR JORDAN IIもそうなのかも知れないが、詳細はよく分からない・・・。(笑)
話はそれてしまったが、AIR JORDAN IIも良く復刻されているが、オリジナルに勝るものは無い・・・。
1986年の唯一のイタリア製は別格だ・・・。
箱も確かウイングロゴを取り入れた箱だった。
1994年の復刻物は良く出来ているが、横のシルエットが違う・・・。
2004年の復刻物はシルエットは近いが、白×黒に関しては論外かな・・・
アッパー部分が1986年のオリジナルの白×黒と白×赤を一つの靴にしちゃった感じだから・・・。
これ、無い・・・。
あと、リア部分のプラパーツが脆弱で割れる・・・。
オリジナルや94年復刻物は凄く頑丈・・・。
94年復刻物は加水分解に見舞われたがソールのみ交換して土足用でで未だに履いている・・・。
復刻物等含む再リリース物で、これは斬新と思ったのは、AIR JORDAN 2.0かなぁ・・・。
唯一、今でも興味深い靴だ・・・。
当時、フルレングス・エアを搭載していたモデルはAIR FORCE IIのみで、AIR JORDANはそうではなかった。
因みにビジブル・エアを搭載されていたのは、翌年1987年にリリースされる初代AIR MAXまでない。
AIR JORDAN IIを分解している方がおられたので画像を拝借・・・。
画像の通り、AIR JORDAN IIは踵にエア・ウェッジしか入っていない・・・。
恐らくAIR JORDAN Iも同じと思われれる。
AIR JORDAN IIIでエアはビジブル化されるので、AIR JORDANシリーズでフルレングス・エアは採用された事は無かったのでは・・・と思う・・・。
AIR JORDAN2.0を見てみると
ビジブル・フルレングス・エア(フルレングス180ともいうか・・・。)が搭載されている。
80年代後半のNIKEのエア・システム技術総結集的な靴に感じる・・・。
もう一足番外編で気になるのはIとIIを一足にした靴・・・このセンスは脱帽する・・・
何はともあれ、Chicago BullsのMichael Jordanというと、2度のスリーピート期(1度目:'90-'91,'91-'92,'92-'93と2度目:'95-'96,'96-'97,'97-'98)、靴でいうとAIR JORDAN VI以降の印象深い方が多いが、私はどちらかというと、1985年~1989年までのMichael Jordanのプレーの方が見ていて面白い・・・。
因みにChicago Bullsはそんなに強くはない・・・。(笑)
当時のNBAは、レイカーズ・セルティックス時代=マジック・バード時代だから・・・。
但しJordanに関しては、人間というカテゴリーを卓越した半ば無茶苦茶で痛快なオフェンスが見れる・・・。(笑)
最後にAIR JORDAN IIをもって、私の中でのど初期AIR JORDANは幕を閉じる事となった。
AIR JORDAN IIの様な見た目の靴は ↓の靴
AIR JORDAN XXIIまで登場する事は無い由など、中学生当時の私には分かる訳がない・・・。(笑)
【補足】
AIR JORDAN初期1⇒ 1、2
AIR JORDAN初期2⇒ 3,4,5,6,7,8
AIR JORDAN中期1⇒ 9,10,11,12,13,14,15
AIR JORDAN中期2⇒ 16,17,18,19
AIR JORDAN第一次・終盤期⇒ 20,21,22,23
AIR JORDAN新期⇒ 2009,2010,2011,2012,28
AIR JORDAN近代⇒29,30
AIR JORDAN現代⇒31,32
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