Air Jordan l 以降の当時のバッシュ達

何度も書いてしまうが、I は良く捻挫した。(笑)
ソールが硬かった。(笑)
当時は踵にしか、エア・ウェッジが入っていなかったし…。

そもそも、その時の中学生になんか、エア・ユニットの効果なんて良く分からなかった。(苦笑)

余談になるが、今の I の復刻版は、かなり進化している様だし…。
リア部分以外にフロント部分にも、エア・ユニットが搭載されついるっぽい…。

あと、足首をかなり固く固定をしたい為、キツく紐を結んでいたので靴紐がすぐダメになった。

I の私的印象は、そんなに良くない…。(苦笑)

但し、見た目は、当時では異彩を放ち格好良い靴だった。(笑)

当時、上級生が履いていた靴は、アシックスのファブレ や ランバードのアクセル・ダンサーが多かった。

金持ちの方は、当時、19.500円した
ファブレ ・ラディカル…か…

当時、出たばかりのフルレングス・エアを初搭載した
Air Force II 初期型だった。
価格は18.000円だった。
因みにAir Jordan II は世界的には発売されていただろうが、前記事で書いた様に私が手にするのは約10ヶ月後…。
定価は18.600円だった。


また、話は逸れるが、マイケル・ジョーダン以外のシグネチャを冠したバッシュも多くはなく…

後にユーイング・ブランドを立ち上げる前にアディダスから出ていた…ユーイング・プロ…。
ニックスにいたパトリック・ユーイングが履いていた。
これが、当時、29.800〜30.000円ぐらいで、断トツに高価。

あと、プーマから、ロケッツにいたラルフ・サンプソンのシグネチャ・シューズ…。
サンプソン・モデル…。
これが、当時、15.800〜16.000円ぐらい…。

色分けでシグネチャ的な扱いが、コンバース・ウエポンを履いている選手達…。

マジック・ジョンソンは
レイカーズ・カラー…。

ラリー・バードとか、ボストン勢は
黒のウエポン…レギュラー・シーズンから黒シューズだった。
定価は忘れた。(苦笑)

晩年のジャバーは、これ…。
名前は忘れた…。

当時、ルーキーだったスコッティ・ピッペンは、AVIAとかいうメーカーを履いていた記憶がある。

と、当時のバッシュを振り返ると、いかに、この靴が…
NGが出て…
を履いていたのは、何となく頷ける。

また、Air Jordan II が、何故、唯一、黒ベースのシューズが無かったのも、何となく頷ける。

1987年頃は、ラリー・バード率いるボストン・セルティックス以外は黒シューズって、あまり見た記憶がない…。

Air jordanが改めて、黒シューズがラインナップされるまでは、1988年のオールスター・ゲームまで待たねばならない…。
Air Jordan III のオールスター・ゲームで履いた物までは…。

まだ、シカゴ・ブルズもプレーオフに黒シューズを履くという概念も、後にブルズ・カラーと呼ばれるBredカラーというのも存在しない時代だ。

因みに、シカゴ・ブルズがプレーオフでは黒シューズを履く様になったのは1989年からであり、提案者は当時、在籍していた…
ブラッド・セラーズと言われている。

その時に、有名な画のひとつの…
“The Shot”が…
生まれている…。

この頃が、何から何まで一番良い時代だった。


時折、時って戻らないかぁ…と思ってしまう…。(笑)

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